サイボウズの青野さんが原告の1人となった「選択式夫婦別姓」訴訟からの青野さん側からの問いかけ(でいいのかな?)をまとめた本を読みました。
私は未婚かつ相手もいないのでこの話の影響を受ける側ではないのですが、読んでみて疑問点というか引っかかるものがあったので、自分なりにどう読んだかをまとめます。
さて、まず訴訟についてですが実は裁判所の裁判例検索の結果には出てきませんでした。
検索画面の一番下に「全ての裁判例が本システムに掲載されているものではありません。」とあるので、裁判結果が出ていても検索にヒットしない事例はありそうです。
まずは地裁での結果について原告側の訴えなどまとめて書いてある公式な記録が欲しかったのですが。
こちら側に載っているものを見るしかなさそうです。
「3月25日 判決」の「東京地裁判決要旨」の文書のタイトルには「別姓訴訟」という文言がありますが、判決要旨の「主たる争点」を見ると「旧氏続称制度の不存在」について争ったものというのが正しいというか法的にはそういう言葉を使っているようです。
私がなぜここら辺の文言についてこだわったかというと、一般的に使われる「選択的夫婦別姓制度」という言葉に対して、人々の立ち位置や考え方によって「何を指しているか」の振れ幅が大きいと感じたからです。
青野さんの書籍にも書かれていますが、少なくとも青野さんは「夫婦で同じ姓になる人を否定しているわけではない。だから選択式という言葉を使っている」というようなことを書いています。でも、書籍の別の部分(夏野さんとの対談)では、他の人から「サイボウズは夫婦同姓婚を認めないんでしょう?」と言われたことがあると書いています。もちろん、青野さんは「そんなことはありません」と否定しているのですが、そこで止まっています。「選択式って入っているんだから、ロジカルに考えればどちらも選べるんですよ」という感じの主張は正しいと思いますが、ここは青野さんの戦略ミスではないかと私は考えました。「文字通りに受け止めれば夫婦別姓婚を強制するのではないことはわかるはずだ」という感じの主張は、「他人も自分と同じような読み方をする」という前提に依存していると思うんですよね。個人的には、「人間は自分の都合の良いように解釈したがる」と思うので、「相手に余計な解釈の余地のない書き方」をした方が良いと思うんですよ。
そういう意味で言うと、「選択式夫婦別姓制度」という言葉はどちらかと言うと「夫婦別姓を選びたい人に寄り添う書き方」であると思っています。
さて、ここで法務省のページを載せます。
世論調査の結果とか裁判所の判例とか色々載っていますので、比較的偏りがない内容かなと思いますので気になったら上記ページを見てみると良いと思います。まあ、このページでも「もちろん,選択的な制度ですから,全ての夫婦が別々の氏を名乗らなければならないわけではありません。」と書いていますので「選択式って書いてあるんだからその通りですよ」という説明です。
ここで、一度私の考え方を確認します。私としては「夫婦別姓を選べてもいいのではないか」という立場です。その理由としては、「戦後から高度成長期を経て昭和が終わるまでは「専業主婦志向」がある程度占めており、夫婦同姓でかつ夫の姓を選んでも手続などにおける妻の側の不利益は今よりは少なかったと考えられる(あくまで手続き上に限定した話なので、本人の意思という面では同意できないと言う意見はあるはず)」というのがあり、「平成以降現在に至るまで、結婚後も仕事を続ける人が大幅に増えたので、結婚前から使ってきた氏名が結婚を機に変わることによって起こる不利益が拡大した」というのがあります。ざっくり言えば「社会が大きく変化したのに法律がそれに追いついていない」という考え方です。
さて、次は反対する人のうちで考え方を変えるのが面倒そうな意見にどう対応するかです。まずは、「夫婦別姓にすると家族のあり方が壊れる」というやつですね。ここでいう「家族のあり方」とはなんだということなんですが、主張する人に具体的な話を聞きたいところです。個人的には「壊れる」というのだから「ある程度決まった型」を想定しているのではないかと推測します。「現実には家族っていろんな形があるよね」と思うので、現実を突きつけるしかないのかなあ?
あとは、「伝統が云々」というやつ。この「伝統」という言葉は厄介で、「何年以上経ったら伝統と言ってよい」という決まりがあるわけではなさそうなんですよね。以下の本には「伝統であると思っていた事柄って実は100年前以降にできたものが多いよ」という話が載っています。横道に逸れますが、面白い本なので読んでみてください。
前に挙げた法務省のページにもある通り、氏そのものを誰もが名乗れる(というか名乗らないとダメ)ようになったのは明治期以降なので、氏(姓)と家制度が結びついて国民全体にそれを徹底したのも明治期以降となります。そんなわけで、「伝統が」という人の「伝統」はたかだか日本の歴史のごく一部を指しているだけです。
では話を変えます。私はこの中で次のように書きました。
「選択式夫婦別姓制度」という言葉はどちらかと言うと「夫婦別姓を選びたい人に寄り添う書き方」である
かなり意地悪な書き方ですね。ではどういう言葉を使えばいいのか。機械的に羅列すると「夫婦同姓別姓選択制度」となるかな?個人的には、この書き方だと曖昧な解釈はできないと考えています。「夫婦で同姓か別姓を選択してね」という読み方以外の読み方があったら教えてください。なぜこういう書き方をしたかというと、「同姓」という言葉を入れることにより「何と何を選択するのか明確になる」からです。「選択式夫婦別姓制度」に「なんとなく嫌だなー」と思う人は、「同姓も選べるよ」というのが明示されていないからそう感じるのかなと思ったのです。誰も見出しを読んで理解した気になったりするじゃないですか。「どうやって制度の名前をつけるか」に気を配った方が良いのではと思うのです。
同姓別姓の話はひとまず終わり。あとは、青野さんの書籍を読んでの気づきのうちここまでの話がからまないことについてです。
それは、「戸籍」についてです。実は、私は結婚していないこともあり戸籍を意識したことがないんですよね。「戸籍に関する書類を提出してください」と言われた記憶がないので、自分の戸籍がどうなっているとか知らんのですよ。
青野さんの書籍には「戸籍はひとつの家に住む「1組の夫婦+未婚の子」、つまり1家族を単位としてつくられています。」とあります。ここら辺は戸籍法の範疇なのかな?
法務省の戸籍に関するページはこちら。
戸籍法をざっと読んだ限りでは、未婚だと20歳以上でも分籍(戸籍法第100条)をしないと変わらないようですね。私が戸籍を意識しなかった理由もわかりました。ほとんどの書類で何か必要になる場合は「住民票」の写しを出すんですね。住民票の写しなら、今住んでいるところの役所に取りに行った記憶がありますわ。
というわけで、青野さんの書籍を読んで色々考えたという話でした。読んでみての個人的な収穫は、「ロジカルに考えるのが当たり前の人は、ロジカルに考えない人に対しての配慮をしないものだなあ」ということです。まあ、難しいよね。