popnja’s blog

日記風からハード中心に変わりました

「偏らない」情報を得るのは難しい

日頃よく見ているサイトで紹介されている映画がどんなものか気になったので調べて見ました。

いつも見ているサイト:日々是チナヲチ。(読んだ記事

紹介されていた映画:ムルデカ 17805

ググるさんで検索したところ、次のようなサイトでこの映画の感想を書いているのを見つけました。

感想が書かれていたサイト:栄耀映画なる回廊(感想のページ

さて、この二つの文章を比べてみると、映画の印象がまるで違うものであるのがわかります。よく読んでみるとわかるのですが、「日々是チナヲチ。」で書かれている「映画の紹介の後につけられた文章」が実は「映画の内容を正確に表しているわけではない」のです。この文章(太平洋戦争において、~忘れてはならないと思います。)は、あくまで映画とは関係なしに、ある事実についてのこれを書いた人の意見(「忘れてはならないと思います。」の部分)なのですが、映画のタイトルと並べることで、映画の内容もその線で描かれたものであるかのようにミスリードしているのです。ここでミスリードと判断したのは、別の人の感想を読んだうえでその内容に恣意的なものを感じなかったためであり、実際に私が映画を見たうえでの判断ではないことを書いておきます。

「日々是チナヲチ。」さんの書く記事を私は毎回興味深く読ませてもらっているので、その内容が常にミスリードをしているとはいいません。ただし、ネット上を限らずすべての媒体に載る情報には、常に何らかのバイアスがかかっているということを忘れてはいけないと思います。そのバイアスを考慮した上で、得た情報を読み解く必要があるのではないでしょうか?常に相反する情報に接することを忘れないでいることが重要だと思います。

これは「情報発信において『中立性・公平さ』を保つのは難しい」ことも指しています。Wikipediaの位置づけはわかり易い例です。Wikipediaは、「辞書」という『中立性・公平さ』を持っていると一般の人が思う本のネット版と位置づけられると捉えがちです。しかしながら、この頃ニュースになる(役所からの書き込みによる情報操作の疑い)ように、実は「恣意的な情報が入り込みやすい」という弱点をもっています。「辞書」が「本」という媒体であったときは「出版社」が「社会の公器」であるという意識を持って編纂されているがゆえに『中立性・公平さ』がある程度保障されていたのではないでしょうか?これが「ネット」という「複数の対立軸が同時に存在しえる」媒体に移ったことにより、その『中立性・公平さ』が弱まったと私は考えています。「ネット」の利点が、欠点にもなるわけです。Wikipediaの場合、運営する人たちの努力によって、ある程度の『中立性・公平さ』は保たれていますが、それが「本」を超えることはないのではと思います。

そういう私が書くエントリも「事実」と「意見」が混在しているのですが、「個人的な意見」を「一般的な事実」と誤解されないように気をつけていきたいと思っています。