私が生まれてからいろいろな歴史的事件があったが、幸いにして当事者になったことは無い。しかし、社会人になってから3度ほど「その時」を間接的に共有したことがあった。
1.阪神・淡路大震災(1995年1月17日)
火曜日の朝、テレビを見たかどうかは覚えていない。覚えているのは、会社に出社した後の混乱だ。9時過ぎにみんなが集まったころに「関西方面の顧客と連絡が取れない」という情報が入った。その頃はインターネットがまだ普及しておらず、身近にある情報収集手段はパソコン通信だった。NIFTY-Serveの電子掲示板をチェックして、何か大変なことが起きたのだけは感じられた。何とか連絡を取ろうと誰もが必死だった。しかし、どうしようもなかったのは覚えている。寮に帰ってからテレビをつけて初めて何が起きたのか知った。「何もできない」ということを身近に感じた初めてのことだった。
2.地下鉄サリン事件(1995年3月20日)
土日と帰省しており、年次休暇をとった月曜日に寮へ帰る予定にしていた。朝起きてニュースを見ていると、「何か」が起きていた。都心で起きた「それ」は異様な光景であり、本当のところ何が起きているのか分かってはいなかった。ただ分かっていたことは「東京は危険」ということであり、それでも東京のはずれにある寮へは帰らなければいけないことだった。うまく働かない頭をフル回転させて、「武蔵野線経由で江戸川区まで帰る」ことにした。それは「少なくとも都心に向かうよりはまし」という選択であり、次善の策であった。電車に乗ってはじめて通る土地を過ぎている間もラジオ片手に何か新しい情報はないか探していた。車内はやはりいつもとは違うようであり、だれもが少し緊張していたように思える。「葛西臨海公園」駅に着いたときは午後3時を過ぎていて、誰もいないホームを一人歩いていた。その光景は、まだ覚えている。
3.アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)
夜テレビを見ていたらその光景が突然映し出された。見たのはNHKだったと思う。繰り返し放送される映像。ビルに突っ込んでいく飛行機、それも旅客機だったのが現実感を失わせていた。だが、「何か世界が変わってしまった」という思いがよぎったのは覚えている。そして崩れていくビル。リアルタイムで見たテレビの向こうで多くの人が死んでいった。そして世界は現実に変わった。子供の頃夢見ていた「21世紀」は過去のものになっていた。今までの人生で初めてそして一度だけ、その時の新聞をとってあるのは「歴史の分岐点」だと思ったからだろうか。
「神戸在住」を読んでいて、こんなことを思い出していた。一度は文章にしておかないといけないと思った。だから、今書けることを書いてみた。
#子供の頃のほうが楽しい出来事を覚えているのはなぜだろうか?それなりに幸せな子供時代を過ごしたのかもしれないな。